戸田塾 =面接のすすめ=

新潟公務員法律専門学校就職室長が語る面接で勝つ方法

勉強って将来にどう役に立つの?ちょっと考えてみよう!!

学生たちが良く「この授業、将来の役に立つかわからない」などと言ってくることがあります。特に、高校までやってきた英数国理社的な授業に対しては強くそのように思っている学生が多いです。さて、それではなぜ学校でそのような授業を行うことになっているのでしょう。

 
社会人として仕事をする目的についてきちんと考えその上で仕事はどういうものかと考えていくと答えは見えてきます。
 
働く目的には3つのベクトルがあります。「生活を豊かにする」と言うベクトル。「自分をより成長させる」と言うベクトル。「世の中に有益な仕事をしてお客様、ひいては世の中全体に貢献する」というベクトル。この3つのベクトルが自分のモチベーションとして全てある状態が、できる社会人になる条件です。もしこの中の1つでもなかったとしたら、全てが崩れてしまいます。
 
例えば、生活を豊かにするという視点のみで働いた場合、ベクトルは自分に向いています。この場合、給与や安定さらには余暇の多さ、人間関係など自分が幸せになることだけが目的と言うことです。いかに自分への見返りを多くするかということで働いています。このような人がどこかのショップの販売員だったとしたらその人から商品を買いたいと思うでしょうか。私はイヤです。そのような販売員からは絶対にものは買いたくありません。自分のことしか考えてないわけですから、お客様のことを考えてくれないわけですから当然です。つまり、そのような仕事を続けていると、誰からも相手にされなくなったり、売り上げをとることができなくなったりというようになってしまいます。そうなんです。このような人たちに社会は「無能」というレッテルを貼ります。
 
また、自分をより成長させると言う視点だけだった場合、あなたがお客さんだったとしたらその人から物を買いたいですか。自分のことも考えてくれと思いませんか。そんな人は、自分が組織から認められるために、何とか成績を上げようと、相手のことを考えずにものを売りつけるような人になってしまうような気がしませんか。
 
さらに、自分のことを考えず、誰かのためだけに働いた場合、自分の幸せは後回しになり生活が疲弊してしまいます。
 
この3つのベクトルをバランスよく持ち、自身の成長に対して努力をし、社会に貢献する仕事を行っていくと、その見返りとして収入や安定が手に入るものです。
 
さてここで最初のお題について考えてみましょう。学校の授業が社会人なってから役に立つか否か。こんな時に学生に話をすることがあります。
「心から市を良くしたい、社会貢献をしたいと考えている小学生達が市役所職員として、市のためにとてつもなく頑張ってみたら良い市ができるだろうか」
「さぁ本気で想像してみよう」
このように言うと何人かの学生は笑いをこらえることができず吹き出します。
「じゃぁ中学生だとしたら」
このように話していくと大抵の場合大人じゃないと無理と言う結論に達します。
「じゃあなぜ大人じゃないと無理だと考えるの」
そのように言うと学生たちは
「経験が必要だから」
と言ってきます。
「では、全く学校教育を受けてない人が、経験だけですべての仕事に対応できるの」
と問うと
「中学生レベルの勉強は必要かも」
などと答えてくれます。
「では、市役所職員になったと考えてください」
「議会で環境都市を作るためにCO2削減20パーセントと言う法案が決議されたとします」
「その場合、市役所職員がその実行部隊として問題に取り組むわけですがどんな知識が必要ですか。」
「絶対とは言いませんが、物理化学の知識はあった方が良いですよね」
「その物理化学を駆使するための、数的知識はあったほうが良くないですか」
「また、CO2削減にはいろいろな業者や市民と交渉し、協力してもらわなければならないと思いませんか」
「相手にわかりやすく説明するための言語能力が必要ですよね」
「さらに、今までの歴史の中で培われた先人たちの知恵を知っていたら、よりうまく交渉できますよね」
「さぁ学校での勉強は無駄だったのでしょうか」
「先人たちが苦労して苦労して身に付けた経験を、教養と言う形で身につけることが自分の将来につながると思いませんか」
 
学校で身に付けた知識は仕事の中で単体で使うものではなく、組み合わせながら使っていくものです。そして、教養を勉強することが自らの成長につながるものです。別に勉強は受験のためにあるものではありません。自らを成長させ世の中に貢献し自らの幸せを作り出すために行うものです。
 
学生の皆さんは何年もの間に渡って様々な教養をインプットしてきました。これを社会人としてアウトプットできたとき、勉強の大切さ面白さがわかるのではないかと私は思っています。実を言うと社会人にとって勉強って結構楽しいものだったりします。皆さんも将来の自分を想像して勉強を楽しんでくれたら、ちょっと嬉しいです。

「気の利いた奴」になるためには「育ちが必要だ」と言われても…

社会人に必要な様々な能力「責任感」「協調性」などは「そんなこと社会に出なければわからない」「働いたこともない人間にそれを教えようとしても無理だ」と仲間によく言われます。学校の教員として、なんか悔しいので、反論してみました。

「社会人になったらその能力は身に付くものですか」
「社会に出ればわかるんですか」
 
このように聞いてみると、
 
「結局は、わからない人は、わからない。わかる人は、わかる」
 
という返答が返ってきました。私も長いこと社会人として過ごしてきた経験から、その通りだと思っています。社会人になるとわかる人がでてくる。でもわからない人はわからない。仲間の言葉を借りると
 
「気のきいた奴であれば、教えなくてもできるけど、気のきかない奴は、教えてもできない」
 
となります。
 
「気のきいた奴」…どうせだったら、私の関わった学生たちはすべてわかる人間になってほしい。そのため、仲間にその原因を聞いてみました。そうすると答えは一言
 
「育ちだ」
 
でした。言わんとしてる事は分かるのですが、漠然としていて説明にはなっていません。説明にトライしてみましたが、育ちを説明するのは私にはあまりにも難しすぎます。でも、経験上分かる事は、親の社会的地位だとか、収入だとか、生まれた環境だとか、そういうものでは無いということです。
 
社会に出たら成功する可能性が非常に高いと思う子は存在します。どうすると、そのように育つのかはわからないです。ただこの子たちに共通する二つの特徴があります。
 
一つ目は人との出会いを大切にしている点です。様々な人と出会って、その出会いの中から吸収し、自分を創っていく。その中で自分のメンターを見つける。出会いの中で探し続ける。結局は行動です。行動すれば必ず能力が身に付くわけではない。でもたくさんの行動をすれば、見つかる確率は高くなります。
 
もう一つは素直さです。人を知りたい、吸収したいと考え、教えを請う。さらには、教えてくれたことを感謝する。そうすることで、可愛いがられ、もっと吸収する場が増える。
 
行動し、吸収し、感謝し、可愛がられ…これを繰り返しスパイラルアップしていく。これが「気の利く奴」になるポイントなのでは、と考えます。
 
「育ち」って言うと、なんだかなぁと思ってしまいます。でも、いろいろな出会いを求め、いろいろな環境を知る。さらには、その環境の中で吸収し続ける。その努力が育ちを決めると考えると「育ちが良くなる」「気の利いた奴になる」可能性が見えてくると思います。

ハイというのは素直じゃないって言われても…って思うよね...

講義をする中で学生に「わかった?」と聞くと、多数の学生は元気に「ハイ!」と答えてくれます。このときにいつも私が言うセリフがあります。「ハイというのは素直じゃない!素直になれ!」です。講義中に何回も言っているので、最近はそのセリフに対してハッとした顔をしてくれますが、最初は「このおっちゃん何言っているんだ?」という顔をしていました。

私は素直を「受け入れること」と定義しています。もう少し細かく言うと「自分を受け入れること」「相手を受け入れること」「環境を受け入れること」の3つになります。もし、学生が「相手を受け入れること」を徹底した素直な人間だったとしたら「わかった?」という問いかけに対してど  のように答えるでしょうか。受け入れる前提として相手を心からわかりたいと思う気持ちがわくはずです。そうすると返しは確認になると思いませんか。「おっしゃったことは〇〇ということですよね」「〇〇という風に理解したのですが、それでよろしいでしょうか」など自分がきちんと理解していることを確認して、考えが正しいということが分かった時点で「ハイわかりました」と返事をすることが「受け入れること」つまり「素直さ」になっていませんか。これであれば、学生にとってだけではなく、私にとっても理解が確認でき、気持ちよくかつ着実に講義の目的を果たすことができます。

就職面接の時にも同じです。緊張のあまり質問に対して「ハイ」だけで返す学生がよくいるのですが、面接官にとっては心のシャッターを下ろして「聞かないでください」と強く言われている気分になります。

自己PRで努力を語った学生に対して次のように聞いてみたとします。

「努力したんだね~」

「ハイ」

「それを行っているときつらかったですか」

「ハイ」

「チーム全員がそのような努力をしていたのですか」

「ハイ」

「そうなんですか。良いチームですね」

「ハイ」

「・・・」

いかがでしょうか。ここまでハイだけで返す学生はまれですが、面接官として何を聞いてよいかわからなくなってしまいます。

人間関係の中では「心から分かりたい・理解したい」と考えて行動するようにしてください。相手を心から理解したいという気持ちは相手のオープンハートを創り、良いコミュニケーションのきっかけとなります。そんな、コミュニケーションでわかり合う人間関係をたくさん創ってくれることを祈っています。

主体的に行動するってどういうこと?

学生が先日就職セミナーに参加して「主体性と自主性」について講義を受けてきたようです。内容を聞いて良いセミナーをしてくれるなと感心しました。学生達は「主体的に行動しなければ…」という気持ちを強く持って帰ってきてくれたので、主体的に動くために必要なことを学生達と一緒に考えてみました。

1.現状と理想のギャップを見つける課題発見力が必要

2.ギャップを埋めるためどう動くか考える論理的思考力が必要

3.考えを実際の行動に移す行動力が必要

話をまとめるとこんな感じでしょうか。また、その中で最も重要なのが目的意識ではないかとの意見も出ました。課題発見力が目的を創り、目的意識が目標を創り、論理的思考力で目標を実際の行動に落とし込むという順番です。

例えば、皆が遠慮して発言せずゼミの議論が活性化しないという課題をゼミ長として感じていた場合、次のようになります。ゼミ内での遠慮をなくし、議論を活性化させることが目的。そのためにゼミ生たちの中にある壁を取り払うことが目標。ゼミ長としてゼミ生一人ひとりと毎日最低1分以上雑談でもなんでも良いから話をすることが行動。さらに、会話の中で各ゼミ生が抱える研究の問題点や課題を探り、全員の課題を事前にSNSにアップして共有するなどと決定するような感じです。

具体的に行動まで決めると動くことができます。この目的→目標→具体的行動という考え方が主体的に動くための最低条件になるのではないかと考えました。

また、目的がワクワクすることであれば、自立的に動くことが楽しくなると思いませんか。目的から具体的行動まで落とし込む行為をきちんとすることで、ぶれずに楽しく主体的に動くことができるのではないかというのが、私と学生たちの仮説です。

「無駄」という考えが最も無駄な理由

「やりもせんに」本田技研の創始者本田宗一郎の口癖だったそうです。昭和の時代の言葉ですが、正解のある仕事がコンピュータに取って代わり、社内に残った単純作業はアウトソーシングされ、正社員が取り組む仕事は正解のないチャレンジングな精神が必要なものが中心になっている今の時代のためにある言葉だと思います。

私もこの言葉を心に刻みながら、いつも仕事に取り組んでいます。どうすれば、企業が欲しがる人財を輩出できるのだろう。あの手この手で学生にアプローチしているわけです。これは、私の職業が特殊なわけではありません。営業しかり、販売しかり、広報しかり、技術しかり、企画しかり...頭脳労働で給料をもらうためには挑戦し続けるしかないのです。
でも、「そんな役に立つかどうかわからないことやっても無駄だ」「どうすれば上手くいくかノウハウを教えて」と言ってくる学生がいます。テクニックやノウハウでその場を乗り切ることが労力が少なく成功に近づく方法と考えている学生です。たまに上手くいくと、そのノウハウが武器になると考えて満足します。同じシチュエーションなんてほとんどないのに…大事なのはノウハウではなく「なぜ成功(失敗)したか」なのに…世の中、まるで数式のような公式だけで渡れるほど甘くはありません。
就職試験ではその人の行動の傾向を見ます。上のようにムダと考える傾向がある人はまず合格しません。組織は何事もムダと考えずチャレンジする人しかいらないのです。正解のない仕事をするわけですから、何でもやってみないと分からないのです。ムダと考えてしまうと成功にたどり着けません。さらに、ムダと考える人は仕事ができないだけではなく、上司の指示に対してもムダとか思うことがあると判断されます。もし、皆さんに部下がいたとして、自分が考える仮説をもとに仕事を指示したとき、部下がムダと考えていたとしたら、その仕事成功すると思えますか。ムダと考える部下と一緒に仕事がしたいですか。
もし、ムダという気持ちがあるのであれば、社会人になる前に考えを変えてください。また、隠すのだけは絶対やめて下さい。そうしないと自分をふくめ組織全体が不幸になります。
チャレンジしてチャレンジしてチャレンジしてください。やってみると結構楽しいものですよ。

人の気持ちを考えて行動するはPRにならない

「私は人の気持ちを考えて行動することができます」この自己PRのキャッチフレーズ...女子に多いのですが、そのフレーズを目にしたときは、そこにいる他の学生にアンケートを取ります。「人の気持ちを考えない人は手をあげて」この質問に対して当然誰も手をあげません。そして、それを自己PRにしてきた学生に言います「だれもが人の気持ちを考えて行動するけど、君の特徴を教えて」

そうなんです。人の気持ちを考えることでは自己PRにならないのです。もう少しパーソナルな特徴が欲しいところです。でも、人の気持ちを考えて行動する学生の中には、この学生仕事出来るなと思わせてくれる学生がいます。

例えば「宿題に出したプリントを回収して私のところへ持ってきてください」というと、テストを名簿順に並べ替えて、休んだ学生、未提出の学生の名前をメモに書いて添付して提出してくれます。私はそのことに関しては全く指示は出していません。提出状況を評価しリストに転記するという私の仕事を予測して、仕事がスムーズに進むように気を利かせてくれたと感じ、その学生に感謝します。

また、メールで授業の変更を入れると必ず「はい、わかりました。明日〇〇の教科書を忘れずに持っていくようにします」と確認のメールをくれる学生がいます。指示を出した私としては授業変更を理解したことを確認でき、安心すると同時に気遣いに感謝します。

このことについて学生に謝意を伝えると、キョトンとした顔をして「ありがとうございます」と返してくる場合が多いです。まあ、そんなことは彼らにとって当たり前なのではと思います。

些細なことなのですが、日々の生活の中で何回もこのような気遣いを行ってくれることが、そのような学生の特徴です。私にこのような行動をしてくれるのですから、アルバイトやサークルなどでは当然、同じような気遣いをしてくれていると考え、聴いてみると、大抵の場合、面接で使えそうな面白いことを行っていたりします。

これらの気遣いは社会人としては当たり前の行為なのですが、意識せずにこのような気遣いを出来る学生を見ていると良いなぁと感じてしまいます。

自己PRを作っているときにやりがちなこと

先日、公務員受験を目指す高校生に対して面接対策の授業をしました。その中で私としては珍しくテクニックの話をしてみました。「こんなことも大切かな」と考え少し紹介します。

まずは、次の2つの映像をご覧ください。

www.youtube.com

www.youtube.com

ルーキーズは前にも紹介しましたが、自己PRの作り方の参考として「魔女の宅急便」も秀逸です。さて、この2つの事例をありがちなタイプの自己PRとしてまとめていました。

ルーキーズ卒業に出てくるニコタマ野球部部員の自己PR①

私の長所はあきらめないことです。高校時代野球部では甲子園を目指し、苦しいこともありましたが、様々な努力を続けました。最後まであきらめなかった結果、甲子園に出場できました。

魔女の宅急便の主人公「キキ」の自己PR①

私の長所はあきらめないことです。一人前の魔女を目指し、苦しいこともありましたが、様々な努力を続けました。最後まであきらめなかった結果、人命救助もできました。

さて、2つの自己PRを見てどう思いましたか?「高校時代野球部では甲子園を目指し」が「一人前の魔女を目指し」に変化し「甲子園に出場」が「人命救助も」に変化しただけで、他の部分は同じものです。この自己PR少しだけ文章を変化させれば、どんな人でも使えます。

例えば、私の自己PR

私の長所はあきらめないことです。学生全員が幸せな就職をすることを目指し、苦しいこともありましたが、様々な努力を続けました。最後まであきらめなかった結果、学生の就職率100%を達成することができました。

実はこの文章、自己PRとして何も言っていないのと同じなのです。「様々な努力」これでは何を行ったかわかりません。「最後まであきらめなかった結果」どんな考えでどのようにあきらめなかったかわかりません。つまり、この自己PRは具体的とは言えないのです。少し変化させただけで誰でも使える自己PRはPRになっていないと考えてください。大事なのは「様々」を具体例(どのような行動をしたか)であげること。その時の考えを伝えること。つまり、何を何故そうしたかです。

この、2つの自己PRを次のように変えるとどうでしょうか

ルーキーズ卒業に出てくるニコタマ野球部部員の自己PR②

「あきらめない気持ちが成功を創る」高校時代野球部で培った信念です。365日毎日6時間の練習。「一緒に行こうな」を合言葉に頑張った日々。怪我を隠し試合に出ようとした時の「お前だけが痛いんじゃない皆が痛いんだ」という仲間の言葉。勝ち取った甲子園が私の誇りです。

魔女の宅急便の主人公「キキ」の自己PR②

一人前の魔女を目指し、空飛ぶお届け便が生業でした。飛べずに、箒と一緒に心が折れた日「箒が運ぶんじゃない私が運ぶんだ」という気持ちで取り組んでいきました。嵐の中、人命救助ができた時に感じた、本気で誰かの為に頑張った時の達成感は忘れることができません。

さて、このような自己PRは状況説明や場面が入っているため、パーソナルなものとなり他の人が使うことはできません。このような自己PRが良い自己PRだと私は考えます。

皆さんも自分だけの自己PRを是非作ってください。