戸田塾 =面接のすすめ=

新潟公務員法律専門学校就職室長が語る面接で勝つ方法

チームとグループなんとなく違いは分かるけど…

今日、学生がチームワークについて語った自己PRを持ってきました。その学生と話す中で「チームとグループの違い」についての話になりました。辞書的に言うとチームは「ある目的のために協力して行動するグループ」グループは「仲間・集団」となります。この解釈だとチームはグループの特殊な一形態ということになっていますが、組織の中でチームとグループを論じる場合少し違う気がします。組織の中での「チームとグループの違い」色々なところで論じられていますが、今日はそのことについて考えてみます。

組織の中でのチームの定義は「異質の人たちが同じ目的のために集まり、それぞれの能力を使って、補完し合いながらチームの目的を達成するために集まった集団」ではないかと私は考えます。

組織の中でのグループの定義は「同質の人たちが同じ目的のために集まり、同じ能力を使って、一緒に動くことで個々の目的を達成するために集まった集団」ではないかと私は考えます。

チームワークが持つイメージと、グループワークが持つイメージを比べると分かりやすいかもしれません。例えば、授業でグループワークを行う場合の目的は、個々のレベルアップですし、部活でチームワークを発揮するときの目的は全体のレベルアップです。チームワーク力は部活やサークル活動・学校行事・アルバイト・ボランティアなど、集団で一つの目標に向かって何かを行うことで磨いていけることができると言われていますが、皆さんはそこで本当にチームワーク力を身に着けたでしょうか。

これを、見極める方法がいくつかあります。

一つめは「自分がいなくなってその組織が回るか」です。チームは「それぞれの能力を使って、補完し合いながら」活動します。つまり、自分に役割があり、その役割を行う自分が抜けるとチームは回らなくります。チームを語るときにはよく考えてみてください。自分がいなくなってもそのチームが存在できるかを…もし、存在できると思ったら、それはチームではありませんグループです。

二つめは「一人ひとりを評価できるか」です。チームは「それぞれの能力を使って、補完し合いながら」活動します。全員が一つとなって行うので個人評価は出来ません。また、その場合、成し遂げたことは自分がやったことではなく、チームがやったことと心から思えるはずです。また、一般的にはチームの全員に協力してくれたことに対して心から感謝している場合が多いです。もし、個人評価できるとしたら、それはチームではなくグループです。

三つめは「仲良くが一義となっていないか」です。チームの存在意義は目的を成し遂げることです。信頼し合う必要はありますが、仲良くし合う必要はありません。チームとはそれぞれがそれぞれに対して、また自分に対しても厳しいものです。しかし、グループでは目的が個々のものなので、グループを存続させるために、楽しい場を作ることが重要です。そのためには気を使い、仲良くすることが必要になります。

いかがでしょうか。チームを創り上げることって結構難しいです。でも、補完し合って、一人の力を十倍二十倍にすることができたら最高だと思いませんか。

また、面接官は本当にチームワーク力があるかを、このような視点で見ていきます。是非今いる組織の中で良いチームを創ってください。そこで自分の役割を全うしてください。

受け入れると言葉の魔力が味方になる

素直さがは受け入れることと話しましたが、うまく受け入れると言葉は魔力を持ちます。この「言葉の魔力を上手く使え」は面接での文言を注意するときによく言う言葉です。言霊とか言いますが、言葉には素晴らしい魔力があります。それは、使い方一つで敵にも味方にもなるものです。

ちょっと例をあげてみます。誰かのために何かを一生懸命やってうまくいかなかった時に出てしまいがちな言葉です。

「なんでこんなに一生懸命頑張っているのにわかってくれないの」この文言では相手は批判されたと感じて拒否されるのがおち。「どんなに一生懸命頑張っても全く上手くいかないからしょうがない」この文言では相手はどう対応したらよいかわからない。

人は自分の鏡です。自分が批判的であれば相手も批判的になる。自分が諦めれば相手も諦める。魔力がマイナスに働いた例です。言葉を味方にするには、まず受け入れることが大切です。

何かを一生懸命やってみたが、上手くいかない。努力しているのに成果が出ない。まずはそこを受け入れましょう。受け入れたうえで言葉の魔力を上手く使いましょう。「一生懸命頑張っているんだけど上手くいかない。どこがまずいのだろう。一緒に考えてもらえないかな」こんな言葉であれば、相手は相談にのろうという気になってくれないでしょうか。相手に頼ると相手は一緒に考えてくれるものです。もしかすると道が見えるかもしれないと思いませんか。

何回か受け入れる素直さについて語ってきましたが、素直な反応をする学生ほど面接には強いです。それだけではなく社会人としても強い人間になれます。今回は受け入れることについてどういうことか紹介しました。

人は自分の鏡です。何か行動を起こす時、一度自分が現状を受け入れているかどうか確認してみませんか。そうすることによって周りからも受け入れられる人間に一歩近づくはずです。

社会人として必要な能力の1つは『素直さ』である

「先生の教え方が下手だからわからない」「学生が真面目にやらないから授業が上手くいかない」こんな空気が渦巻いた授業ってどう思いますか。また、「私の理解力がダメだから先生の言っていることが理解できない」「私の教え方が下手だから学生が理解しない」こんな空気の授業はどうでしょうか。

最初の考え方は環境や人のせいにしているパターンです。よく「環境のせいにするな」と言いますが、学生・教師共に人のせい・環境のせいにしているこのような空気が教室に蔓延した授業は、教室中に怒りが蔓延し最悪です。でも、二番目の例ように、それぞれが「自分のせい」で考えている場合では、教室中に鬱が蔓延しこれはこれで最悪な例ではないでしょうか。

これを仕事に置き換えてみたらどうでしょうか。上司のせい、部下のせい、同僚のせい、客のせい、自分のせい、会社の環境のせい...これって組織として最悪ですよね。組織の全員が自分の実力不足で仕事が上手く回らないと考えた場合...どんよりとした空気が組織に蔓延している光景が目に浮かびます。

そうなんです。環境のせい・他人のせい・自分のせい...このどれを考えても上手くいかないんです。このことを学生たちに話すと「じゃあどうすれば良いの」と訊かれるのですが、現状を受け入れるしかないんです。現状を受け入れた上で「どうすれば上手くいくか考えよう」と思うことが解決への唯一の道なのです。

あるがままの自分を受け入れ、あるがままの他人を受け入れ、あるがままの環境を受け入れる。その上で、理想の姿と現実とのギャップを受け入れ、今ある課題を受け入れ、行動を考え実行する。そうなんです。何でも受け入れる素直な気持ちが大切なんです。素直さがポジティブシンキングの泉源となると考えてください。

ここから考えると、組織は素直な考え方をする人を欲しがります。素直な考え方で行動を創ってください。私も上手くいかないときには何かのせいにしたくなります。そんな時には「いけない、いけない、素直さが、受け入れることが大事」って思うように気をつけています。そうすると、見えるものがあり、行動に移すことができます。

最終的には自分が受け入れると周りも受け入れてくれるものです。それを繰り返すと、社会が結構楽しい場所になりますよ。

テクニックで考える、心で考える…どっちが得か考えよう

学校で学ぶスキルにはニつの種類があります。一つ目は「技能や技術」のことで、1番基本的なスキルとしては「読み」「書き」「計算」などから「経済学」「工学」「医学」など大学で学ぶものなどさまざまあります。


もう一つは「ポテンシャル」です。この場合のポテンシャルの意味は「早く成長する力」であり「そのために必要な心」です。このポテンシャルは「素直さ」「コミニケーション 能力」「誠実さ」などの人間性のことでこれらのものを修得すると、早く成長することができます。例えば、素直であれば、吸収することができ成長する。誠実であれば周りから好かれ、さまざまなことを教えてもらえる機会が増え成長する。このようなことだと考えてください。
 
技能技術は授業で、ポテンシャルは部活などの課外授業で学ぶことが一般的でしょうか。
 
さて、面接指導をしていると結構な割合の学生が面接技術を聞いてきます。聞き方としては「どのような言い方をすればいいですか」「この言い方で正しいですか」こんな感じです。
 
話し方が大切ではないとは言いません。話す技術、それはそれで身に付けてください。でも、面接指導で一番身に付けて欲しい事は話す技術ではなく、心です。自分の成長を作る考え方、ポテンシャルを身に付けてほしいといつも思っています。
 
そのため「どんな言い方をすればいいですか」と聞いてきた学生に対して「わからない」と答えることがよくあります。
 
例えば、どんな社会人になりたいかなりたいと尋ねた際に、いつも高みを目指す社会人になりたいと答えてくれたとします。その後学生とニ人で「高みを目指す」と言う事について話し合います。そして、その言葉を定義していきます。
 
高みを目指し続けるために、まだ上があるといつも思う気持ち「まだまだ」と思う気持ちが必要。そして、吸収し続ける事が大切。たくさん吸収するためには、人の良いところに視点を合わせること、そして、良い考え方や行動を教えてくれたその人たちに感謝する気持ちを持つこと。
 
このようなことを、話していきます。
 
ここで必要な事は、本気で高みを目指したいと思っていることです。これを思い続ければ、たくさん吸収したいと思うはずです。それを強く思えば、人の良いところを見て真似してみようと思いませんか。これがポテンシャルです。
 
もしこれを面接技術で考えてみるなら次のようになります。
「人の良いところに視点は合わせるように努力してきました」
「その良いところを教えてくれた人々に感謝しています」
このように言えば、面接に通りやすくなる。
 
これには心が入っていません。そのように心からそのことを語っていない人を採用したいと思うでしょうか。
 
面接において、技術は必ず必要なものではありませんが、心は必ず必要なものです。面接を考えるときに、どのように答えれば合格するかと考えるのはやめた方が良いと思います。それをすると、ブレブレの内容になってしまう場合が多いです。
 
それより心を創って、本気で話したほうがずっと楽しいですよ。

勉強って将来にどう役に立つの?ちょっと考えてみよう!!

学生たちが良く「この授業、将来の役に立つかわからない」などと言ってくることがあります。特に、高校までやってきた英数国理社的な授業に対しては強くそのように思っている学生が多いです。さて、それではなぜ学校でそのような授業を行うことになっているのでしょう。

 
社会人として仕事をする目的についてきちんと考えその上で仕事はどういうものかと考えていくと答えは見えてきます。
 
働く目的には3つのベクトルがあります。「生活を豊かにする」と言うベクトル。「自分をより成長させる」と言うベクトル。「世の中に有益な仕事をしてお客様、ひいては世の中全体に貢献する」というベクトル。この3つのベクトルが自分のモチベーションとして全てある状態が、できる社会人になる条件です。もしこの中の1つでもなかったとしたら、全てが崩れてしまいます。
 
例えば、生活を豊かにするという視点のみで働いた場合、ベクトルは自分に向いています。この場合、給与や安定さらには余暇の多さ、人間関係など自分が幸せになることだけが目的と言うことです。いかに自分への見返りを多くするかということで働いています。このような人がどこかのショップの販売員だったとしたらその人から商品を買いたいと思うでしょうか。私はイヤです。そのような販売員からは絶対にものは買いたくありません。自分のことしか考えてないわけですから、お客様のことを考えてくれないわけですから当然です。つまり、そのような仕事を続けていると、誰からも相手にされなくなったり、売り上げをとることができなくなったりというようになってしまいます。そうなんです。このような人たちに社会は「無能」というレッテルを貼ります。
 
また、自分をより成長させると言う視点だけだった場合、あなたがお客さんだったとしたらその人から物を買いたいですか。自分のことも考えてくれと思いませんか。そんな人は、自分が組織から認められるために、何とか成績を上げようと、相手のことを考えずにものを売りつけるような人になってしまうような気がしませんか。
 
さらに、自分のことを考えず、誰かのためだけに働いた場合、自分の幸せは後回しになり生活が疲弊してしまいます。
 
この3つのベクトルをバランスよく持ち、自身の成長に対して努力をし、社会に貢献する仕事を行っていくと、その見返りとして収入や安定が手に入るものです。
 
さてここで最初のお題について考えてみましょう。学校の授業が社会人なってから役に立つか否か。こんな時に学生に話をすることがあります。
「心から市を良くしたい、社会貢献をしたいと考えている小学生達が市役所職員として、市のためにとてつもなく頑張ってみたら良い市ができるだろうか」
「さぁ本気で想像してみよう」
このように言うと何人かの学生は笑いをこらえることができず吹き出します。
「じゃぁ中学生だとしたら」
このように話していくと大抵の場合大人じゃないと無理と言う結論に達します。
「じゃあなぜ大人じゃないと無理だと考えるの」
そのように言うと学生たちは
「経験が必要だから」
と言ってきます。
「では、全く学校教育を受けてない人が、経験だけですべての仕事に対応できるの」
と問うと
「中学生レベルの勉強は必要かも」
などと答えてくれます。
「では、市役所職員になったと考えてください」
「議会で環境都市を作るためにCO2削減20パーセントと言う法案が決議されたとします」
「その場合、市役所職員がその実行部隊として問題に取り組むわけですがどんな知識が必要ですか。」
「絶対とは言いませんが、物理化学の知識はあった方が良いですよね」
「その物理化学を駆使するための、数的知識はあったほうが良くないですか」
「また、CO2削減にはいろいろな業者や市民と交渉し、協力してもらわなければならないと思いませんか」
「相手にわかりやすく説明するための言語能力が必要ですよね」
「さらに、今までの歴史の中で培われた先人たちの知恵を知っていたら、よりうまく交渉できますよね」
「さぁ学校での勉強は無駄だったのでしょうか」
「先人たちが苦労して苦労して身に付けた経験を、教養と言う形で身につけることが自分の将来につながると思いませんか」
 
学校で身に付けた知識は仕事の中で単体で使うものではなく、組み合わせながら使っていくものです。そして、教養を勉強することが自らの成長につながるものです。別に勉強は受験のためにあるものではありません。自らを成長させ世の中に貢献し自らの幸せを作り出すために行うものです。
 
学生の皆さんは何年もの間に渡って様々な教養をインプットしてきました。これを社会人としてアウトプットできたとき、勉強の大切さ面白さがわかるのではないかと私は思っています。実を言うと社会人にとって勉強って結構楽しいものだったりします。皆さんも将来の自分を想像して勉強を楽しんでくれたら、ちょっと嬉しいです。

「気の利いた奴」になるためには「育ちが必要だ」と言われても…

社会人に必要な様々な能力「責任感」「協調性」などは「そんなこと社会に出なければわからない」「働いたこともない人間にそれを教えようとしても無理だ」と仲間によく言われます。学校の教員として、なんか悔しいので、反論してみました。

「社会人になったらその能力は身に付くものですか」
「社会に出ればわかるんですか」
 
このように聞いてみると、
 
「結局は、わからない人は、わからない。わかる人は、わかる」
 
という返答が返ってきました。私も長いこと社会人として過ごしてきた経験から、その通りだと思っています。社会人になるとわかる人がでてくる。でもわからない人はわからない。仲間の言葉を借りると
 
「気のきいた奴であれば、教えなくてもできるけど、気のきかない奴は、教えてもできない」
 
となります。
 
「気のきいた奴」…どうせだったら、私の関わった学生たちはすべてわかる人間になってほしい。そのため、仲間にその原因を聞いてみました。そうすると答えは一言
 
「育ちだ」
 
でした。言わんとしてる事は分かるのですが、漠然としていて説明にはなっていません。説明にトライしてみましたが、育ちを説明するのは私にはあまりにも難しすぎます。でも、経験上分かる事は、親の社会的地位だとか、収入だとか、生まれた環境だとか、そういうものでは無いということです。
 
社会に出たら成功する可能性が非常に高いと思う子は存在します。どうすると、そのように育つのかはわからないです。ただこの子たちに共通する二つの特徴があります。
 
一つ目は人との出会いを大切にしている点です。様々な人と出会って、その出会いの中から吸収し、自分を創っていく。その中で自分のメンターを見つける。出会いの中で探し続ける。結局は行動です。行動すれば必ず能力が身に付くわけではない。でもたくさんの行動をすれば、見つかる確率は高くなります。
 
もう一つは素直さです。人を知りたい、吸収したいと考え、教えを請う。さらには、教えてくれたことを感謝する。そうすることで、可愛いがられ、もっと吸収する場が増える。
 
行動し、吸収し、感謝し、可愛がられ…これを繰り返しスパイラルアップしていく。これが「気の利く奴」になるポイントなのでは、と考えます。
 
「育ち」って言うと、なんだかなぁと思ってしまいます。でも、いろいろな出会いを求め、いろいろな環境を知る。さらには、その環境の中で吸収し続ける。その努力が育ちを決めると考えると「育ちが良くなる」「気の利いた奴になる」可能性が見えてくると思います。

ハイというのは素直じゃないって言われても…って思うよね...

講義をする中で学生に「わかった?」と聞くと、多数の学生は元気に「ハイ!」と答えてくれます。このときにいつも私が言うセリフがあります。「ハイというのは素直じゃない!素直になれ!」です。講義中に何回も言っているので、最近はそのセリフに対してハッとした顔をしてくれますが、最初は「このおっちゃん何言っているんだ?」という顔をしていました。

私は素直を「受け入れること」と定義しています。もう少し細かく言うと「自分を受け入れること」「相手を受け入れること」「環境を受け入れること」の3つになります。もし、学生が「相手を受け入れること」を徹底した素直な人間だったとしたら「わかった?」という問いかけに対してど  のように答えるでしょうか。受け入れる前提として相手を心からわかりたいと思う気持ちがわくはずです。そうすると返しは確認になると思いませんか。「おっしゃったことは〇〇ということですよね」「〇〇という風に理解したのですが、それでよろしいでしょうか」など自分がきちんと理解していることを確認して、考えが正しいということが分かった時点で「ハイわかりました」と返事をすることが「受け入れること」つまり「素直さ」になっていませんか。これであれば、学生にとってだけではなく、私にとっても理解が確認でき、気持ちよくかつ着実に講義の目的を果たすことができます。

就職面接の時にも同じです。緊張のあまり質問に対して「ハイ」だけで返す学生がよくいるのですが、面接官にとっては心のシャッターを下ろして「聞かないでください」と強く言われている気分になります。

自己PRで努力を語った学生に対して次のように聞いてみたとします。

「努力したんだね~」

「ハイ」

「それを行っているときつらかったですか」

「ハイ」

「チーム全員がそのような努力をしていたのですか」

「ハイ」

「そうなんですか。良いチームですね」

「ハイ」

「・・・」

いかがでしょうか。ここまでハイだけで返す学生はまれですが、面接官として何を聞いてよいかわからなくなってしまいます。

人間関係の中では「心から分かりたい・理解したい」と考えて行動するようにしてください。相手を心から理解したいという気持ちは相手のオープンハートを創り、良いコミュニケーションのきっかけとなります。そんな、コミュニケーションでわかり合う人間関係をたくさん創ってくれることを祈っています。